お客様の声

【お客様の声】マイナスな感情を認めることの重要性がわかり、自分を大切にできるようになりました。

お客様の声をいただきました。

29歳 女性 九州地方

―私の変化―

■家族構成、暮らし方

【出生~両親離婚】

父(末っ子次男)、母(末っ子三女)、兄(4つ上)、私

兄が小学生、私が4歳の時に両親が離婚。二人とも母に引き取られる。

 

【保育園~中学生】

母、兄、私

母が仕事の間は、母方の祖父母に預けられる。

小学生の時、祖父母の家の近くに引っ越したため、それからは自宅で留守番をする。

父とは年に2~3回会ったり電話をする程度。一緒にご飯を食べたり、ドライブをしていた。時々、父方の祖父母にも会いに行っていた。

 

【高校~専門学校】

母、私

兄が大学進学で家を出たため母と二人暮らし。

部活や勉強で帰りが遅いため、食事は別々なことが多かった。

 

【就職】

一人暮らし

実家から車で1時間程度のところ。

年に5~6回実家に帰ったり、時々母が家に来ることがあった。

母と距離を置くようになってからは、法事など必要最低限の時のみ帰る。

☆平井さんと出会い感情解放カウンセリングを受ける。

今の夫と出会う。

 

【転職、同棲~結婚~現在】

夫、私

同棲を始めてからいくつか仕事をしたが、結婚後の現在は専業主婦。

☆再び感情解放カウンセリングを継続し、感情解放心理学講座を受講。プロテインやサプリを摂り始める。

 

今までの私について

出生~両親離婚

私には記憶がないので周りからの情報を元にお話しします。

 

両親はお見合い結婚後、父の勤務先(関東)で生活。お互い地元(九州)から離れての生活で不安があった様子。

兄と私が生まれ、9年程は結婚生活を送ったようだが離婚。この時、二人の子どもを一人ずつ引き取るという案もあったが、兄妹一緒のほうが良いだろうとのことで二人とも母に引き取られ、地元に帰ってくる。その後、父も地元に帰りやり直そうとしたが上手くいかなかったとのこと。

母は、父の酒癖の悪さや金遣いの荒さを指摘しているが、父からすると母の言動や態度は居心地の良いものではなかったとのこと。兄曰く、離婚の会議をした時はとても悲しかったとのこと。私もその場に居たとのことだが覚えていない。

 

保育園~中学生

物心ついた時には、母と兄と三人での暮らしが普通となっていて、父は時々会う人となっていました。

 

この頃は自分の置かれている状況が本当によくわからなかったし、誰にも聞いてはいけないことだと思っていました。兄は状況を把握していたようですが、私は何もなかったかのように過ごすしかありませんでした。大人になるまでは、離婚やお父さんがいない事について誰ともちゃんと話した記憶がありません。

 

まだ幼いから話してもわからないだろうと周りは考えていたとのことですが、この曖昧さがモヤモヤとしたマイナスな感情として私の中で大きくなっていました。

 

私が良い子にしていなかったからお父さんが出て行ったのかもしれない”

“私のせいで家族がバラバラになってしまったのかもしれない”

良い子にしていないとお母さんもどこかに行ってしまうかもしれない”

と思い込むようになりました。この頃から自分のせいにする癖がついていったように思います。

 

保育園や学校生活では、友達もいたし勉強も部活も頑張っていました。母は私のためにと習い事にも通わせてくれました。頑張るほど成果が出るものについては、誉めてもらえたり達成感があったので苦になることはありませんでした。

 

毎日ごはんを食べて、勉強や習い事をして、友達と遊んで、普通に生活できていました。家族三人になっても出かけたり、兄とも仲良しでしたが、兄が中学生になった頃から急に無視をされるようになりました。兄の母に対する態度も変わっていき、家の中はいつもピリピリしていました。今思うと、兄も思春期で、色々な不満があったのだと思いますが、当時の私には全くわからず、ただ怖くて悲しかったことを覚えています。母はそんな兄を見て文句は言うものの何もできず、私にばかり指図するようになりました。

 

温かい家庭とは真逆で、母と兄はいつもイライラして怒った顔をしていました。いつからか兄は自分の部屋で食事をするようになりました。笑顔もなく、会話も必要最低限で、常にピリピリとしていました。

 

その様子を見て育ってきた私は、自分が二人を怒らせているような気がしていました。特に兄に関しては、いきなり無視をされるようになったので本当に傷付きました。立場の弱かった私にしか当たる場所がなかったのかもしれないけど、私に暴言を吐いたり、存在がないように接していたりした時期を思い出すと今でも悲しくなります(今では普通に話せています)。

 

“私がブスだからお兄ちゃんに嫌われたんだ”

私が生まれてお父さんが居なくなっちゃったからお兄ちゃん怒ってるんだ”

 

と数年前まで本気で思っていました。母は私の話を聞く余裕もなかったので、段々と私から話をすることはなくなりましたし、話しても気持ちが通じず意味がないと思うようになっていきました。今思うと、家族で会話しながら楽しく過ごす時間というのはほとんどありませんでした。母と私は、一緒にご飯を食べる、お風呂に入る、テレビを見ることはあっても、楽しいね~幸せだね~という感情を共有することは少なかったように思います。

 

当時、学校や習い事では先生に褒められるように頑張り、家では母と兄に怒られないように頑張るという習慣がついていました。頑張っていないと価値がないという思いが既にあったと思います。どこでも良い子でいたためか褒められることも多かったです。しかし、それは女手一つで育てている母の頑張りだと周りはよく言っていました。

 

「お母さん一人で大変なのにすごいね」とよく言われましたし、母は自分を良く見せることが得意であったと思います。私がどれだけ頑張っても、最終的に誉められるのは母でした。

 

母は私に対し、できて当然、もっと頑張りなさいという雰囲気の言動や態度が多かったです。母子家庭であることを気にして「普通の家庭と同じように育ててるんだからね」と言うのが母の口癖でした。

 

どれだけ頑張れば許してもらえるのか、認めてもらえるのか、どうやったら普通になれるのかがわからず、とにかく頑張り良い子でいることが一番なのだと思うようになっていました。その結果、周囲からは段々と頼られる存在となり、何かあっても自分で解決するしかなく、誰かに甘えるということができなくなっていったように思います。

 

そんな中で、父だけは優しい言葉をかけてくれました。「元気か?」「頑張りよるなあ」「お前はお父さんの子やけ大丈夫ぞ」「今度美味しいもの食べに行こうな」と会えばいつも笑顔で前向きでした。何か買ってくれたり、好きな物を買いなさいとお小遣いをもらうこともありました。

 

年に数回会えるその時が嬉しかったのですが、父と会った後の母は「子どもにばっかり良い顔して」と不満そうにしていました。その様子を見て、素直に嬉しいと思ったり言葉にすること、そのような雰囲気を出すことに罪悪感を抱くようになりました。そして“私はお母さんの味方でないといけない”“お父さんのことを好きと言ってはいけない”と思うようになりました。

 

高校生~専門学校

 

高校生になると、兄が家を出たことで自分の部屋を持つことができました。それからはほとんど自分の部屋でテレビを見ながら一人でご飯を食べるようになり、母との会話も減っていきました。

 

しだいにオシャレにも興味を持つようになりましたが、母から「変だ」「おかしい」「それはお母さん嫌い」など言われ不機嫌な顔をされるようになり、とてもストレスでした。私が良いと思ったものは変なのかもしれない、おかしくならないためにはどうしたら良いのだろうと考えていました。周りからも変だと思われているのかなと思い始め、自信がなくなっていったように思います。

 

また「うちにはお金がないから」「貧乏だから」と言われ、欲しい物もなかなか買ってもらえない状況でした。私だって可愛くなりたい!オシャレしたい!と思っていましたが、そう望んでいる自分に罪悪感があり、女性性を否定するようになっていました。今思うと母は、私が女性になることを邪魔していたのだと思います。

 

専門学校へ通うようになると、以前より自由な生活を送れるようになりました。バイトをして好きな物を買ったり、友達と飲み会をしたり、外での繋がりが増えたことで笑顔で過ごす時間が多くなりました。勉強は大変でしたが、優しい人が周りに多く恵まれていたと思います。

 

社会人

 

就職し、忙しいけれど充実した生活を送っていました。一人暮らしがこんなにも楽しいとは思いませんでした。よく、一人は寂しいとか、早く実家に帰りたいと聞きますが、一度もそのように思ったことはありません。むしろ、こんなに気楽なものなのか、やっと自由に生きられると思いました。

 

母と離れたことでストレスは和らいでいたし、職場の人達と家族のように過ごす経験ができ、何か楽しいな~と感じられるようになっていました。自分の収入もあり、好きなように過ごせることが本当に嬉しかったです。

 

ただ、小さい頃からあった寂しさや生きづらさは変わりませんでした。仕事ができても、彼氏がいても、なんだか満たされない感じがあって、どうやったら幸せになれるのだろうといつも考えていました。

 

また、母に監視されることのない生活を経験したことで、実家に帰った時の息苦しさを強く感じるようになっていました。母の表情や言動にイライラしたり、母に会った後は自分が不安定になったり、何かおかしいな?と感じ始めていました。自分と周りは何かが違う、そうはわかってもそれが何なのかわからない状態でした。そのため、私の頑張りが足りないんだ、もっと強くならないといけないんだ、そうしないと幸せにはなれないんだと思い続けていました。

 

~感情解放カウンセリングを受けようとしたきっかけ~

 

父方の祖父が亡くなったことがきっかけでした。初めて経験する身内の死でした。慣れない親戚の中で過ごし不安でいっぱいでした。孫として葬儀に参加したものの、私が居て良いのだろうかと思っていました。

 

母は祖父の死に関して自分には関係ないといった様子でしたし、父は私のことを気にする余裕はなく、兄は父方の親戚付き合いに慣れていたので、なんだか私だけが取り残されたような気分でした。

 

母に引き取られた私は、皆の敵のような気がして、その場に居るだけで悪いことをしているような気持ちになっていました。皆が泣いている中、祖父とあまり会ってもいないくせに私が泣くのはおかしいのではないかと必死に涙をこらえていたのを覚えています。

 

また、混乱する原因となったのが、父方の親戚が明るくて楽しい雰囲気を持っていたことでした。母から聞く父の話は否定的な事ばかりで、親戚についても「お母さんは知らん」と話をすることはありませんでしたが、実際は優しい人ばかりでした。

 

こんな世界が身近にあったんだ、こっちが良かったな、と正直思いました。しかしこの時は、そう思ってはいけない、お母さんを悲しませてはいけない、私はお母さんの味方でないといけないんだから、と自分の感情に蓋をしていました。

 

母から得た情報と、自分で知り得た感覚が違いすぎてとても戸惑いました。この違和感が何なのか自分でもわからなかったし、祖父が亡くなった悲しみや自分を責める気持ちもあって、本当にぐちゃぐちゃでした。

 

ただ、当時お付き合いしていた彼がいたので、連絡を取ることで気が紛れていました。むしろ、その彼に自分の気持ちをわかってほしくて不安や恐怖を取り除いてほしくて、必要以上に思いをぶつけてしまいました。しかし、わかってもらえないことに気付き、怒りが出てきて、突発的に自分から別れを切り出すことになりました。別れるという結果になりましたが、前に進むことができたので、この選択は間違っていなかったと今では思います。

 

祖父の死と、彼との別れの直後は本当に辛かったです。こんな時、お母さんだったら聴いてくれるかもしれないとまだ期待していた私は、母に電話をしました。気持ちを受け止めてほしくて、優しい言葉をかけてほしくて助けを求めましたが、母が理解してくれることはありませんでした。逆に責められるような言い方をされ、わかってもらえない歯がゆさと怒りで更におかしくなりました(この頃から母と距離を置き始めた)。

 

誰にも頼れない、母親さえもわかってくれない、だったら私は一体何のために生きているのだろう。もう死にたい。消えてしまいたい。そう思うようになりました。

 

幸い、当時働いていた職場の環境が良く、仕事中は落ち着くことができました。しかし、家で一人になると涙が出てどうしようもなかったです。このままではダメだと思い、今の自分に合うものをネットで探し始めました。必死に調べて辿りついたのが平井さんのブログでした。

 

~平井さんに出会うまで~

 

誰か助けて、もう頑張れないという思いでした。小さい頃から溜まっていった不安や恐怖、怒りが爆発していました。良い子でいる自分に限界がきて、自分ではどうにもできなくなっていました。

 

誰にもわかってもらえない気持ちをどうしたらよいのか、この先どう生きていけばよいのか、そればかりを考えていました。私が良い子じゃないから、可愛くないから、上手くできないから…と何かと紐付けて、自分を責める言葉が毎日グルグルと頭の中にありました。

 

ついには私の存在が皆に迷惑をかけているんだと思い込むようになりました。私のせいだ、全部私が悪いんだ、私は生まれてこなければ良かったんだと、自分を責めてばかりいました。

 

平井さんに連絡するまでにも、とても勇気がいりましたが、もうどうなっても良いから私はこの人に頼りたいと思っていました

 

当時、医療職をしていたこともあり病気についての知識がありました。そして、私は薬を飲むほどの病気ではなくてただ自分が弱いだけなんだ、私は患者様を支える立場なんだから自分が甘えてはいけないんだ、と思い弱音を吐けず誰にも甘えられませんでした。

 

私なんかがカウンセリングを受けてよいのか、という思いがとてもありました。しかし平井さんは、カウンセリング前のメールで、人を支える立場であるからこそ自分自身のメンテナンスが重要なこと、日本ではあまりカウンセリングの必要性が認識されていないけれど海外では歯医者や美容院と同じように定期的に行くものなんだ、ということを教えて下さいました。その言葉のおかげでカウンセリングの捉え方が変わったように思います。緊張はありましたが恐怖感はなく、やっとわかってくれそうな人が現れた!と会いにいくことが楽しみになっていました。

 

~平井さんと出会って~

 

初めて安心して泣けたように思います。私の場合、涙を流すことはすぐにできましたが、泣くことは悪いことだと思い込んでいたので、平井さんから泣いていいんだよ、泣けたほうがいいんだよと言われてとても嬉しかったです。

 

でも、小さい頃から「あんたはすぐ泣く」「泣けば済む(許される)と思ってる」と怒られてきたので、本当に大丈夫?という気持ちもありました。最初は緊張しましたが、ブログの内容やメールのやりとりで平井さんならきっと大丈夫だと確信があったので、すぐに安心感を得られたように思います。

 

感情を言葉にすることが最初は恥ずかしかったですが、それ以上に胸がジーンとして素直に涙を流せることが嬉しかったです。初めての感情解放は涙がたくさん出て、子どものように泣きじゃくりました。

 

なぜこんなにも辛いのか苦しいのか聞いてもらって、涙を流して。大丈夫だよ、あなたの気持ちがわかるよ、あなたがとっても大切だよと言ってもらえることが、こんなにも心に響くんだということを初めて知りました。そのままの自分を認めてもらう安心感を知りました。なぜこんなに生きづらくなっているのかを教えてもらい気持ちが楽になりました。

 

一回カウンセリングを受けると、体がドッと疲れて頭がポカーンとする感じでした。それでも最初の頃は、平井さんと会って話したいんだと自分で決めていたこともあり(この頃は電話が苦手であった)、往復8時間かけて自分で運転しカウンセリングを受けに行っていました。

 

行き帰りの時間を楽しむこともせず、次の日は仕事という状況であっても、必死に運転して、それが普通だと思っていました。それほど自分の基準がおかしくなっていたことに、この頃はまだ気付いていませんでしたし、頑張りすぎていることもよくわかっていなかったです。それでも、気持ちをわかってもらえた、認めてもらえた、やっと安心できる人に出会えた、ということが、私にとって大きな変化となりました。

 

~新しい彼(今の夫)ができて~

数回カウンセリングを受けて、段々と前向きに行動できるようになっていました。

 

新しい彼を作ることを目標とし、引越しをして環境を変えたり、服やメイクを変えて、自分なりに努力をしていました。色々な場所に足を運んだことで、彼と出会え、お付き合いが始まりました。

 

自分を大切にすることがわかってきて、相手を選ぶ基準も変わっていたように思います。今までと違うタイプであった彼に戸惑いながらも、段々と本来の自分を出せるようになっていきました。

 

平井さんとは、時々連絡をしたり単発でカウンセリングを受ける程度でしたが、ブログを読んだりして情報を得ていました。安心感があったし、何かあればまた受けられるし、新しい彼もできたし、私はもう大丈夫だと思っていました。

 

お付き合いを始めて3ヶ月ほど経った時に、自分の親のこと(離婚していること)、カウンセリングを受けていたことを彼に話しました。受け入れてもらえるのかとても怖かったですが、優しく聴いてもらえて嬉しかったことを覚えています。何かあるごとによく泣いていましたが、そんな時も一緒に居てくれたことが本当にありがたかったです。

 

転職、同棲~結婚

 

もっと変わりたいという思いから転職をしました。また、彼とは結婚を意識するようになっていたため、同棲も始めることになりました。

 

自分を変えるためには、環境を変えること、何か行動することが必要だと思っていました。しかしこの頃の私は、もっと認めてもらいたいという思いと、不安や焦りで行動していたと思います。

 

新生活が始まりましたが、仕事を覚えることや家事をこなすことに、いっぱいいっぱいでした。無理して頑張るほど思うようにいかず、疲れも溜まっていきました。

 

そんな時、職場の人間関係に悩むようになりました。上司から嫌がらせを受け、今まで経験したことのない腹立たしさを覚えました。他の人にはわかりづらかったため、私も自分が悪かったのかな?と思ってしまうような感じでした。しかし、どうしても我慢ならない出来事があり誰かにわかってもらいたかったので、平井さんに連絡をして再びカウンセリングを受けることになりました。

 

久しぶりに平井さんの声を聞いてとても安心したのを覚えています(この頃は電話でも大丈夫になっていた)。職場での状況をすぐにわかってもらえアドバイスをいただけました

 

平井さんと話して、あ~また気付かないうちに頑張りすぎていたんだ、自分を責めていたんだ、私が悪かった訳じゃないんだ、とわかり我慢していたものが溢れ出ていきました。

 

このとき、“本気で自分と向き合おう”と覚悟を決めました。彼にも相談して仕事を辞め、休養しながらカウンセリングに専念することを決めました。この頃から、心理学講座も受けることになりました。

 

~自分との葛藤~

 

仕事を辞めて、とてつもない罪悪感がありました。今まで何かに頑張っている状況(仕事や勉強、習い事など)に自分の価値があると思っていた私は、辛くて悔しくてたまりませんでした。休むという状況が怖くてたまりませんでした。

 

誰かに怒られるんじゃないか、みんなに嫌われるんじゃないかと不安でいっぱいでした。この時初めて、自分が休むことを許可できなくなっていることに気付きました。

 

休むと怒られる、何もしないと嫌われる、頑張っていないと価値がない、誰かに頼る生活(この時は同棲中の彼に対して)は申し訳ないなどと思っていました。

 

また、自分の好きな物や好きなことがわからなくなって、何をしたら楽しいのかがよくわかりませんでした。“どうしたらよいのかわからない”とよく泣いていました。

 

平井さんと感情解放しながら「何もしなくても○○ちゃんには価値があるんだよ」「誰も怒らないよ」「安心して休んでいいよ」「頑張らないことを頑張っていこうね」と言ってもらっていましたが、その意味がすぐにはわかりませんでした。

 

私の中にもお母さんがいるとわかってから、自分の中での葛藤が長く続きました。母と距離を置いているのに、お母さんごめんなさい、許して下さい、という言葉がよく出ていました。それほど自分で自分を見張り、苦しめていました。

 

同じようなことに悩んでしまう繰り返しが、とてももどかしく、本当に辛かったです。また、怒りの感情を出すことがとても怖かったです。この頃、家に現れた虫に対しても怒ったりすることがあり、そのくらい感情が溜まっていました。

 

周りから見ると、家でゆっくりして、好きなことができて、という状況は羨ましいのかもしれませんが、この時の私は、こんなに苦しい思いをしているのがお前にわかるか!誰か私と代わってよ!この辛さをわかってよ!と腹が立っていました。

 

しかし、この頃はまだ怒りの感情に向き合うことができず、それよりも何かしないと、という焦りがありました。少し元気になったから何かしたいなという気持ちもありましたが、早く仕事を始めて役に立たないと、という思いのほうが強かったように思います。

 

~仕事をして気付いた人間関係と身体のこと~

 

仕事を辞めて半年ほど経った頃、また違う仕事を始めました。最初は仕事ができて嬉しいという達成感や安心感があり、順調にスタートしたような気がしていました。

 

しかし数ヵ月後、また職場の人間関係に悩むようになりました。今度は、年上の女性から甘えられるような状況が続き、腹が立つことが増えていきました。

 

平井さんと話しながら気付いたのは、その女性の言動は母に似ているということでした。そして、前に嫌がらせをしてきた上司も母に似ていたことを思い出しました。私と母の関係性が他の人との関係を作っていたんだ!とその時やっと腑に落ちました。

 

平井さんに愚痴を言ったり相談していましたが、その女性と居るだけでストレスが増えていきました。段々と体調が悪くなり、身体が思うようにいかなくなりました。悩みましたが、今本当にしたいことは何なのか考えた時“自分を大切にしたい”“ゆっくり休みたい”という答えが出て仕事を辞めました。

 

短期間のあいだに仕事を辞めることが続き、彼に申し訳ないと思いました。また失敗してしまった、と落ち込みました。しかし、この時やっと自分の身体にも向き合うことができました。ずっと頑張ってきた身体は、本当に疲れきっていました。よく、心と身体は繋がっていると言いますが、本当にそれがよくわかりました。プロテインやサプリを積極的に摂るようになり、段々と身体の不調は落ち着いていきました。

 

~「私が認識していた母」の変化で学んだこと~

 

体調がよくなった頃、彼との結婚が決まりました。結婚式の準備で、母と直接関わる頻度が増えていきましたが、以前のように母から怒りをぶつけられることはなく、淡々と会話ができるようになっていました。

 

また、母を客観的に見れるようになったことで、母の自分勝手さやおかしさを知る出来事が増え、腹が立つようになりました。今まで母の言動や考え方に囚われていたことが本当にばかばかしく思え、素直に怒りを出すことができました。この時とても悲しかったですが、もうお母さんのことを諦めようと決めました。

 

諦めたことで前に進めたように思います。今まで何度裏切られても、次こそは、と思い母に期待していた所がありました。しかし、その考えを手放したことで、とても気持ちが楽になり生きやすくなりました。

 

お母さんは自分で選んで今を生きているんだ、とやっと気付けました。「私の認識していた母」が変わったことで、過去が変わりました。そして、人との関わり方も変化していきました。

 

人と接する時の緊張感が和らぎ、話が通じたり居心地のよい相手と一緒に過ごす時間が増えました。また、マイナスな感情を認めることの重要性がわかり、自分を大切にできるようになっていきました。

 

現在

 

今までで一番穏やかな生活を送れています。夫との関係や親戚付き合いで戸惑うこともありますが、新たな経験ができて嬉しいです。

母との関係は相変わらずですが、父とは心の距離が近づき色々な話ができるようになりました。

天国のじいちゃん達が、平井さんと出会えるように、そして私が幸せに生きていけるように応援してくれているんだな、と今では思っています。

 

これからの私について

 

大変な思いをして生きてきたけれど、“自分には価値がある”ということがわかったので、自信を持って生きていきたいです。毎日楽しく、ご飯を食べたり笑ったりする時間を大事にしたいです。そして、子どもを産んで、温かいお母さんになることが今の夢です。

 

母のことで悩んできましたが、だからこそ出会えた人や経験が多くありました。これからの仕事や子育てに活かし、明るくパワフルな女性でありたいです。

 

これから、楽しい~♪幸せ~♪と感じられる時間や、感情を自由に表現できる場を増やしていき、自分らしく生きていきたいです。

以上です(*^^*)

お父さんと色々話せてから、スラスラ~と書き進められました。

過去を振り返りながら書くのは、エネルギーを使いますが、頭がすっきりしますね。

自分のために書くことができてよかったです。

ありがとうございます♪