平井智美(ひらいともみ)/楽しい人生をつくる感情解放の専門家・感情解放コーチ
1966年11月生まれ 熊本県出身・熊本→東京→宮崎市在住(夫、子ども、私の母)
はじめまして、平井です。
私はこれまでの10年間、アダルトチルドレンの方や機能不全家庭で育った方、愛着障害をお持ちの方を対象にカウンセリング、コーチング、講座を続けてきました。
11年目に入り、現在は、
自身の人間関係の悩みを改善してきたこと、20以上の職種を経験したこと、4人(長女、長男、次女、次男)の子どもの子育て、母と夫を正しく理解し自分自身が楽になり、人間関係の改善方法を構築したこと、
身体の状態を食べ物により良好にしたこと、月に100回〜のカウンセリング、10年間のカウンセラー経験を活かして
・よく分からないけど毎日が辛いという方
・職場での人間関係を良好にして楽しく仕事がしたい方
・親や家族に言いたいことを言えないで我慢している方
・感情が分からなくなっている方
・何をしてどう生きていったらいいのか知りたい方
・言いたいことが言えないため悲しい、辛い、惨めな思いを繰り返している方
・人間関係の悩みを抱えている方
・親子関係、夫婦関係、子どもとの関係で悩み続けている方
・とにかく食事の支度をするのに体力的に辛い方
を対象に感情解放コーチングを行っています。
感情解放コーチングとは、人間関係(親子関係、子どもとの関係も含みます)の悩みを解決し、感情を取り戻し楽しい人生をつくるコーチングです。
クライアントさまのタイプも悩みはさまざまなため、クライアントさま一人ひとりの親、育った過程、家庭環境、悩みに合わせたコーチングを得意としています。
私の活動コンセプトは「笑って楽しく生きる」がテーマで、次のような価値観を元にしてコーチングをしています。
⚫︎言っていいことはしっかり言える人となる
⚫︎笑って楽しく生きる
⚫︎人としての在り方を自分で誇れる人になる
⚫︎自分が自分を好きと思える会話を人とできるようになる
⚫︎感情がわかるようになり感情のコントロールができるようになる
⚫︎人の根本は親子関係にあると知り、親子関係を見直すことで本来の自分になり自分の人生を取り戻す
⚫︎人と良い関係性を築くため、よりよい強さ、図太さ、我がままさを身につけて自分の考えるしなやかさのある強い人になる
⚫︎世間一般の常識、これまで生きてきた中で信じてきた常識ではなく、自分で好きなことやりたいことを見つけ自分に正直に生きていく
ですから、逆に私が大切にしているこの考えや価値観に合わない人のお申し込みは受けつけておりません。
悩みを改善するだけではなく、自分がどう在りたいか、どう生きたいかを知ることで人や環境、時代に左右されず、楽しく強く生きることができるようになってもらいたいからです。
ですが、私も最初からそんな事を考える余裕はありませんでした。
とにかくその時その時の悩みや問題解決をするのに必死でした。
では、私がどうやって自分を変えてきたのか過去を振り返りながら書いてみたいと思います。
私がカウンセリングを受けることになった理由

私が40歳の時に嫁ぎ先の会社が倒産しました、倒産後、いくつかの会社に勤め、その中にカウンセリングを受けるきっかけとなった会社がありました。
その会社で、言いたいたいことを言っていいのか悩み、言いたいけど言えない、言ったほうがよかったのに言えなかった事でそれまでの人生で一番悲しく悔しい思いを経験しました。
その経験をした数日後、その会社で休みもなく睡眠も取れずに仕事をしたことも重なって、身体が動かなくなりました。
そして、その時に「私の中には、これからの人生をどう生きたらいいのか、もう何にもない、何も出て来ない」と思ったのです。
身体が動かなくなった時、泣きたいと思っていないのに勝手に涙が次から次へと出てきました。母に子どもの頃から泣くなと育てられ、ほとんど泣いた事がなかった影響だと思っています。
でも泣いてもいられないんですよね、その時一番下の子はまだ4年生でしたから。
そして、じっとしていられなくて「なぜ、こんなことになってしまったのか!?何か理由があるはずだ!」とパソコンを開いて探し始めました。
初めてカウンセリングみたいなものを探すものですから分からない事が多くて、最初は自分に合わないセミナーやカウンセリングを受けてたくさん失敗をしました。
失敗を重ねた事でどういう人に受けたらいいか分かり始めて「普通の家庭で育った人のことを教えてくれる」カウンセラーにカウンセリングを受け始めました。
その時に、それまでの悩みと経験が全て親子関係に原因があることを初めて知りました。
そして、私は「感情」という言葉も認識しておらず、感情が分からない状態になっていたこともその時に分かったのです。
それでは、私の親子関係と私の感情が分からなくなった理由をお話ししたいと思います。
親と家庭環境

私の父は私が小学生の頃に倒れその後寝たきりの生活になりました。両親は私の同年代の両親よりずっと歳上で戦前戦後の時代を生きてきた人です。
その両親に遊んでもらったり会話をしたり、夕飯を一緒に食べるなど親子、家族らしい経験がほとんどありませんでした。
父はいつも酔っ払っていて私には優しく楽しい人でしたが、子どもの私が世話をする人でしたので、父親ってなんだろうと疑問をずっと持っていました。
(父親の役割がしっかりしている家庭は、子どもは自分の事に集中し自分の可能性を伸ばせます、家庭外や社会に出た時にそこにいる男性と良好な関係を築く事ができます。)
母は母が9歳の時に両親が亡くなり、祖父母はいましたが奉公に出され祖父母のために9歳から竹を扱う重労働の仕事をして厳しい子ども時代を過ごしました、小学校も出ていません。
そんな子ども時代を過ごした母は仕事と家事に完璧主義、自分にも私にも厳しく、私を育てる中で感情の起伏が激しく感情的に私に辛く当たっていました。
私が友達と遊ぶのも母の許可が必要で、母が気に入らない友人と遊ぶのをとても嫌いました。私が楽しいことをしていると機嫌が悪くなる時もよくありました。
母はいつも悲しそうな辛そうな雰囲気で、母から聞く話は誰かの悪口や自分の幼少時の大変さや悲しかった話しでした。今でも私の話を聞くことはありません。
母は子どもの頃に溜まった感情を私を育てる事で私に吐き出してきたのでしょう、本当にどうしようもないほど感情的になり話も気持ちも通じない人でした。
母が親との家庭生活を経験できなかったこと、夫を頼れなかったことで子どもの私を精神的に頼り、無意識で母の母親がわりをさせていたのでしょう。
(9歳から両親がいなかったのですから、いつもどこかで親に助けてと思って生きてきたのでしょうね、母の気持ちは今はよくわかります)
こういう家庭環境と母が私の話を聞かない、母の話を一方的に聞かせる、家庭での会話がない、感情的に母が怒る、母から身動きも取れないような抑えつける子育てをされた事、父親との会話もなかったことで、人生をどう生きていいかも、感情も分からなくなっていたのです。
また、親は家事と仕事だけしていたら立派な親と思っていた考えは間違いだったと気づきました。
親の役割は家事や仕事以外で大切な事がいくつもあるのです。
親の影響を受けた人生だった
覚えているのは保育園の頃から大人の様子をうかがっていたということ。
そして、何かよく分からないで生きているという感覚を子どもの頃から持っていました。
小学校の頃は家の中にいるよりも学校に行けることが嬉しく、頑張らないといけない(認めてほしい、褒めて欲しいからの行動でした)と小学生の時にはすでに思っていたため、中学校までは積極的に運動会の応援団をしたり、委員も自分からするような子どもでした。
また、卒業式などで同級生の女の子が泣いているのを見て不思議に思っていたこともありました。
母から、そのくらいで泣くなといつも言われていたので、小学生の時には感情が分からなくなっていたのでしょうね、自分だけ泣いていないものですから「泣かないといけないんだ」と泣いたふりをしていました。
高校生になったら自分が疲れていることを何となく感じていました、母親との関係で悩み、たくさん食べることもできなかったので体力もありませんでした。
学校生活を頑張る気力もなくなっていました。
親子関係が悪いと、中学生までは成績がトップクラスだったのに、高校ではどんどん成績が悪くなって力尽きる人も少なくありません。

高校卒業後、母は私に夜も働いてお金を家に入れるように回りくど〜く言います笑
そのため朝から夜中まで仕事をしていた時期があり、働いたお金を母に渡すと母が喜ぶので、それが嬉しくて仕事に行くのも苦ではありませんでした。
私は母の働き方を見て育ったこと、母から「寝ずに仕事をするのは当たり前」と言われ育ったため、
結婚してからも子どもを産んでからも倒産するまでの約15年間、倒産してからの数年間、睡眠も取らずに仕事をしてきました。
一番眠れなかった時は、次女がお腹にいて出産する前の3ヶ月間睡眠時間2〜3時間で仕事をしていました。
それでもまだ、他の人はもっと仕事をして家事もして頑張っているのだからもっと完璧に頑張らないといけない、母と同じように寝なくても朝早く起きて仕事ができるようにならなければいけないと思い、できない時はよく自分を責めていました。
一番親の影響を受けたのは、自分の人生は自分で決めてはいけないということでした、母が自分が育てられた価値観で私を育てたのでしょう、母の思うように私が動かないと気に入らない感情をぶつけ、母の思う範囲から出ようとするとその範囲の中に戻されていました。
高校からは、その範囲から出ようと必死で母と闘うこともありましたが、親の影響は大きく、知らず知らずのうち母がつくった私と、人生で生きていたのです。
その母がつくった私で社会人になり仕事をしてましたが、何をしてもどこにいても居心地が悪い、人との関係がうまくいかない、何か分からないけど生きるのがしんどい、結婚してから、子どもを育てるようになってからは更にその思いが強くなっていました。
そして、その結果「どう生きていいか分からなくなり」カウンセリングを受けることに繋がっていったのです。
感情と自分を取り戻してみたら

カウンセリングを受け感情解放を続け、私は自分の感情を少しずつ取り戻す事ができました。
感情がわかるようになったのと同時に、親子関係が良好な家庭の事が分かるようにもなり私自身も家庭も穏やかになっていきました。
その時思ったのが生きるのって「こんなに楽なの?」という事でした、この気持ちは私の子どもたちも同じで「親子関係が良い人たちは子どもの頃からこんなに普通に楽に楽しく過ごしているんだね」って言ってました。
感情的になる人もいない、楽しく会話をしながらご飯を食べることができる、争い事が起こらない、穏やかな毎日が過ごせるようになりました。
今でも時々「毎日平和だね、幸せだ〜」と言ってます笑
そして、感情を取り戻しながらそれまでの悩みの原因も分かり、自分のことも分かるようになっていきました。
私の大きな悩みは「人間関係」(夫婦関係、友人関係、子どもとの関係、職場での人間関係)と、子どもの頃から考えていた「自分は何をするために生まれてきたの?それを知りたい」この2つだったのですが、
人間関係の悩みは、岡田ユキ先生の「岡田式AC判別法」と、哲学博士の出口光先生が開発された「四魂の窓」を学んだ事で解決しました。
この2つを知った時、私はそれまでの自分を救ってもらえたと思いました。
嬉しくて嬉しくて飛び上がりたい気分でした笑
今は岡田ユキ先生の判別法は一般に使えないため、私がこれまでカウンセラーとして活動してきた10年間の経験を元にして「基準判別法」をつくりました。
この「基準判別法」と「四魂の窓」を知ると人間関係で謎に思っていた事が解決し、人間関係がとても楽になります。
そして、私の悩みだったもう一つの「自分は何をするために生まれてきたの?」ですが、
これは、私がカウンセリングを受けながら、自分のことも分かるようになって「こんな自分で生きたかったんだよな〜」と思っていた自分に少しずつ近づいていくのと同時に「このカウンセリングの仕事、私にもできるかもしれない、やってみたい」と思い、
その後、当時カウンセリングを受けていたカウンセラーのカウンセラー養成講座を受けて「あぁやっと自分ができること、分かることを仕事にする事ができたのかもしれない」と確信し、その悩みが消え安心した事を覚えています。
私がカウンセラーを仕事にできると思った理由は、受けていたカウンセラーのカウンセリングの内容が私の悩みの問題解決をするのにピッタリだったという事でした。
・感情が分かるようになる感情解放
・人間関係の悩みを解決するための岡田式AC判別法と四魂の窓
・親子関係が良好な家庭の話し
この3つを元にして私は自分と自分の人生を取り戻していきました、それでも、残った悩みがありましたので、それは自身で考え私の夫と母との間で試行錯誤しながら親子関係、夫婦関係、そして子どもとの関係の改善方法を構築しました。
おかげさまでカウンセラーになり10年目を迎えることができました。
自分の悩みを解決し、どう変化していくか、どのような方法で改善していくかが分かった事でカウンセラーの仕事ができたのだと思います。
カウンセラーとして活動する中で

カウンセリングの仕事をしてたくさんのクライアントさまと出会って、色々な事が分るようになりました。
その中の3つをお話しすると、
・日本中、もしかして機能不全家庭が多いのではないの?
・日本の多くの女性が栄養不足、鉄分不足だということ
・家庭での食事が炭水化物、糖質中心の食事でタンパク質が摂れない人が多い、甘いお菓子や菓子パンを好んで食べているということ
一つ目の日本中、機能不全家庭多いんじゃないの?と思う理由は、クライアントさま以外で色々な人たちと会って家庭の話を聞いてきたのですが、
その方たちの話を聞くと親は何も問題はない自分は何も悪くないと思っているのですが、子どもの方はそうは思っていないのです、とても生きるのがしんどそうな状況でした、でも、親は認めようとしないんですね。
大小の違いはありますが、親の機能が果たされていない家庭はものすごい数になると私は思っています。そのため、子どもたちがこれ以上大変な思いをしないで済むように、親の役割の話を伝え続けていきたいと更に思うようになりました。
二つ目の栄養不足、鉄分不足についてですが、これは三つ目のタンパク質が摂れない状態になっていることと関係しています。
よく調べてみると分かりますので、是非一度ご自身で何が身体に必要か調べてみてください。
本来、摂った方が良い食事を摂っていない事で脳や身体の機能にも影響しています、そのため人生が思うように進まない事にも繋がりますので。
三つ目の食べているものについてですが、これは家族の世代連鎖、親子関係が関係しています、家庭の食事は母親が主に作っている家庭が多いと思いますが、母親が食材、調味料を選択して作っています。
そして、それを食べ、作るところを見て育った子どもは母親と同じように食事をつくります。
この食事が身体と心に大きく影響を及ぼします。
その事に気づいてから私は人の身体と栄養の勉強も始めました、そして、私の家庭でも実践したことで私も子どもたちも身体と心が楽に元気になっていったのです。
この経験からコーチングでも必要な方には食べ物のお話もお伝えするようにしています。
楽しい人生を生きよう

ある人との出会い。
カウンセラーになってから、宮崎に越してからも私は、東京や大阪、それ以外の場所に会いたい人がいれば会いに行き勉強をしたり、知りたい事を学んできました。
その中である人との出会いがありました。
私と同年代ですが、私とは親も家庭環境も、育ち方も全てが違う人です。
何が一番違ったかというと、
「明るさ」
「楽しく生きている」
「自分を大好き」
この3つでした。
「こんなに自分が好きで楽しく生きている人がいるの!?」と初めは意味が分からないくらいびっくりしました。
もう50も過ぎているのに目がキラキラしていて、目の奥もとっても綺麗なんです。
そして、見ていても自分が好きなのが分かるし、本当に楽しそうに生きているのが伝わってきます。見ているこっちも元気になるんですよね。
その人の周りにいる人もリラックスしていて楽しそうにしています。
「あぁ初めて楽しそうに生きている人と出会ったかも」私はそう思いました。
そして、その人と会うたびに私がお母さんなので「平井さん、お母さんはとにかく明るいアホが一番!そしてアホみたいにお母さんが笑っていれば子どもたちは大丈夫」と言われて。
この方と出会った時は自分も家庭も穏やかになっていましたが、ものすごく明るく楽しそうに生きている人と出会ってすごいな〜と思い、この時から私も「とにかくアホみたいに明るく楽しく過ごしてみよう!」と決め毎日を生きるようにしました。
特別楽しい事がなくても「楽しいな」と思って過ごすと自然と楽しい気持ちになるんですよね。
そういえば、私の願いは私のメールアドレスに現れていました。
ずっと若い時から同じアドレスを使っていますが、アドレスの中に「楽しい」「笑う」の文字がどちらも入っています。
子どもの頃から笑うことがほとんどなかった私の願いだったんでしょうね。
いつか笑って楽しく生きる事ができるようになりたい。
今は、おかげさまで笑って楽しく生きています。
笑顔と楽しい気持ちは周りの人へと伝わり、周りも明るくさせます、何より中心にいる自分自身が幸せな気持ちになるんですね。
楽しく生きる!
どうせ生きるなら、笑って人生を生きていきたいと思いませんか?
そして、今から生きていく子どもたちのためにも私たち大人が楽しく生きている姿を見せて、少しでも勇気を与えることができたら笑顔の子どもたちがもっと増えるかもしれません。
私やクライアントさまたちのような大変な子ども時代ではなく、笑って楽しい子ども時代を過ごせるように。